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なぜ「改正」派と「改悪」派の議論は平行線のままなのか

09 18, 2016
 憲法に限らず,「改正」に対して「改悪」と反対する動きがはやりだ。是非はさておき,こういう言葉の選び方はおもしろい。(微妙に対義語になっていない気もするけれど)
 改憲や改定のことを一般的に改正というからには,変えた後の内容のほうが正しい,民主主義で決まったものは正しいという,政治的な思想が入っているものと思われる。改悪という単語はそれを真っ向から否定する刺激的な言葉である。最初に使った人はたいしたセンスをお持ちだと思う。

 ところが往々にして両派の議論はかみ合わない。合意に至る至らない以前に,議論自体が成立していないように見えるのはなぜだろうか。
 それは,「改正」,「改悪」ともに,言葉のうちにすでに確固たる意味を持たせているからだと思う。すなわち,「改める」という(ただの)事柄に対して,「正しい」とか「悪い」とかいう判断を付与してしまっているためではないか。
 ただの言葉の使い方の差にとどまらず,こういうラベリングは思っている以上に強固だと考える。自分の中で価値の決め付けをしてしまっていると,正反対の考えを受け入れたり摺り合わせたりすることは難しい。結果,議論はまとまらず,論調は攻撃的になり,狭量になる上,なんだかストレスがたまる。建設的とは程遠い。健康的とも程遠い。
 その言葉を使う限り,互いが向いている方向が真逆なのだから,論点を噛み合わせることすら難しい。議論をするためには,一旦「改める」とか「変更する」とかいう中立な言葉に立ち返る必要があるだろう。
 「戦争法案」,「既得権益」,「○○(の)"問題"」などもよく聞くが,シンプルで刺激的なワードほど同様の懸念点をはらんでいる。テレビで繰り返し聞く言葉に価値観ごと刷り込まれて,それがいつの間にか「自分の」判断だと思い込まされるのは,主体性を奪われた不自由な状態である。

 最近読んだ本に感化されて,情報や事柄と,それに反応して付けた(または付けさせられた)意味や判断とを分けて考えるよう練習している。判断したり価値観を持つことが悪いということではなく,その状態や影響に自覚的になろうというのである。無意識な思考の意味付けによって感情を振り回されない訓練とも言える。
 まだまだうまくできないが,それが実は想像以上に難しいということは分かってきた。気付くことが平常心への第一歩と信じて。

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言葉のモグラたたき

09 03, 2016
 用いる言葉はよく選びたいと思っている。なかなか思うようにはいかないが,何事も一歩一歩である。「使いたい言葉」はタイミングがないとなかなか難しい。一方,「つい使ってしまうが,良くないと思っている言葉」は気付きによって減らすことができると考える。気を配りながら話をするのは少々ストレスに感じるが,「あ,また使っちゃった!」と気付くことを繰り返していると,何だかモグラたたきをしている気分になる。(モグラたたき,あまりしたことないけれど。)

 最近減らそうとしているのは「やる」,「やつ」,「不用意な撥音便」である。気にしてみると,意外なほど自分も周囲の人も使っているようだ。「やる(動作を行う)」,「やつ(ものを示す)」はいろいろな言葉の代わりになるので便利なのだが,粗雑に感じられる。具体的な動作やものの名前を述べた方が丁寧だし,響きも良い。「不用意な撥音便」は問題ない用法とそうでない用法の区別がやや複雑なので,「~するんで」,「~なんで」を控えて「~するので」,「~なので」とするところから始めている。

 言葉を受け取る人の気持ち良さのためでもあるが,結局は自分のためになると思う。言葉,態度,表情など,まだまだいい加減にしていることが多い。余計な「引っ掛かり」が要らぬ摩擦や衝突を生む。本心を隠すとか取り繕うとかではなく,自然に発したものが円滑に伝わるように,振る舞いを磨いていきたい。

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がうす@仮住まい

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