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八面玲瓏

04 24, 2016
 起こったことや言われたことを事実として過不足なく認識するのは,とてつもなく難しい。その時の自分の価値観や感情が入り,必ず実際とのズレが生じる。それが新しいアイデアを生んで良い方向に進むことは多々あるし,だからこそコミュニケーションを取る意味がある。自我を捨てるとつまらない。が,その主観による認識のズレが余計なトラブルやストレスの種になることも少なくない。

 僕は割と過去のできごとや言われたことを,思考の中で反芻する癖がある。これが概して悪い方向に進む。暇な時に1人で考え込むと,ろくなことがない。分かっていつつも,性格なのですぐにどうこうできるものでもない。
 物事や発言を受け取ったタイミングで感じたことというのが,一応ある。それを持ち帰ってからまた考える。受け止めた時に感情的だった場合は,確かに落ち着くことで考えが深まる時もある。しかし,後で1人で考え込む場合,余計な主観や邪推が入り,自分の都合で意味を付け足したり差し引いたりしやすくなる欠点がある。既に現場を離れているので,それを訂正してくれる人もいない。かくして主観の世界に突き進んでしまう。
 事象は事象。そこに意味を与えるのは自分自身。喜ぶも悲しむも,自分の意志に他ならないと何かの本で読んだ。感情を害されたと言っても,結局犯人は自分自身の認識だというのだ。そうは言っても!と言いたいけれど,なるほど一理ある。

 ではどうするのが良いだろうか。持ち帰って解釈を加えることが分岐点である。したがって,①その場で処理しきるか,②後で勝手な主観を足さないか,③足してもポジティブに捉えるかである。
 ①が最も望ましい。直感を信じるということである。正しい直感を持つために,冷静さ,中立性を保ち,何より日頃から感性を磨いておくことが肝要である。
 ②はそれが難しいから悩んでいるのだが,上述のように,事象はあくまで事象として捉える意識の訓練が必要である。
 ③はその種の才能が必要だと思う。できるに越したとこはない。人生に潤いが出るだろう。

 自分を縛り付けているのは,他ならぬ自分。他人はコントロールできない。自分自身から自由になりたい。それが他人を大切にすることにも繋がると思う。

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五感を磨かねば

04 04, 2016
 古池や蛙飛びこむ水の音

 最も有名な俳句のひとつだろう。
 俳句のことはよく分からないが,この句が頭に浮かぶ度に音がする。
「ぽちゃん」,「ぱしゃ」,「ちゃぽん」
とまぁ,日によって違うのだが,いろんな蛙がいろんな飛び込み方をしていることにしておこう。その音にハッとして,思い出した頃に古池の情景が見えてくる。音が一瞬ではかなく消えるのもあわれである。

 さて春たけなわ,日頃やりとりするメール(手紙を書くことはそうそうないので)であっても,時には季節感やもののあわれを感じられる一言を挟んでみたいものである。
 僕のメールは概して堅い。特に相手との距離感がいまいちつかめないままメールを送ると,慇懃無礼になりがちなようで,いくら仕事のメールでも堅すぎると言われることがある。それで上司に注意(?)されてますます距離感が微妙に・・・というスパイラルに陥ったりもする。

 さりとて手紙に使う季語をそのままメールに入れるわけにもいくまい。季節の香りだったり,色だったり,空気だったり。そんな「ほんのひとこと」を挟めるようになりたい。

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がうす@仮住まい

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